読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

LUCID DREAMING.

君とのことは夢かもしれないな

あなたのガッツはどこから?

こんばんわ。

今回はスタンスをテーマにブログを書こうと思う。そしてまず言っとく。

推すスタンスは、各々勝手にしてクレメンス!まじでわたしには関係ないから!

ではスタート。


3月25日。推しのリリイベの後に友だち達と、その中のひとりのパパとの5人で塚田に行った。乃木坂ヲタのパパは、わたしのメンがヘラりながらも割り切った性格に何故か食いつき、幾つか質問をしてきた。その中でわたしが一番刺さったのが、

「あやかは、いつまでこの調子で応援できる?」

というものだった。正直な話、答えに困った。あの時パパの言った「この調子」というのは、推しに対するお金のかけ方であり、時間の使い方であり、体力であり、精神力であり、熱量だった。


例え話をしよう。鍋に水が入っていて、温めているとする。沸騰しすぎると、お湯は溢れて零れる。火が消えてしまうと、お湯は水となり冷めてしまう。ずっと煮続けると、お湯はいつしか空気になってしまう。鍋を分けると、お湯の分量は偏ってしまう。

この中での鍋はキャパシティだ。お湯は推しへの想いで、火力は熱量だ。想いは熱すぎると、沸き立ちすぎて保ち続けられない。熱量が伴わなくなると、想いはいつしか冷めてしまう。ずっと同じ調子でい続けると、想いは気づけば霧散してしまう。キャパシティが足りなくて想いを分けると、比重はいつしか偏ってしまう。

ガッツだって、リアコだって、他界だって、推し変だって、二推しだって、何かしらの理由があるはずなのだ。いつの間にか推しにそれ以上の感情を持っていることも、もう限界が近いことも、もう想いが他に向かっていることも、みんな気づかないようにしているだけで。


話を戻そう。
わたしは少し考えてから、パパに向かって答えた。

「あときっと、もって2年、ですね」

悲しいけど、笑うしかなかった。


2年。既に経った時間と合わせたら、3年。長いようで、短い時間だ。きっとわたしのような1人のリスナーのことなんか、忘れてしまう長さだ。そして、わたしの周りのガッツたちの熱量が消えていった長さだ。


これはわたしの勝手な自論だけれど、ガッツの賞味期限って、きっとだいたい3年なのだ。わたしは今ガムシャラに、前も後ろも右も左もわからない振りをしてひたすらに走り続けているけど、いつかその日は来るのだ。今は信じたくないし、悲しいけれど。

傍から見たら頭がおかしいくらいのガッツだって、やっぱり人間だから。ある日突然、燃え尽きてしまったりもするのだ。わたしの周りがそうだったように。


それでも今のわたしは推しが好きだから。わたしはその日まで後悔しないようにガッツでいたいと思う。誰になんと言われようが、図太く現場にい続けると思う。そしてその日が来たら、推しにもヲタクにも何も言わず、本当の意味で消えたいと思う。ずっと好きなんて、心の中だけじゃ意味はないから。わたしの替えなんて、幾らでもいるから。


いつかわたしが消えた後、心から何の邪な感情も無く「ただ好きだったんだよ」と、そう言えますように。

いつか見た夕焼けは あんなにキレイだったのに
恋なんて呼ぶには 遠回りしすぎたよ
そして 何もかもが 手遅れの灰になった後で
僕は今更 君が好きだって
君が好きだったって言えたよ

「地球最後の告白を/kemu」