LUCID DREAMING.

君とのことは夢かもしれないな

例えば、今わたしの道標が君だとして。

こんばんわ。

東京から帰ってきた。今回の遠征は、私史上最高にハードだった。生まれて初めての前日告知、まーじでびっくりした。寿命縮まったよ!

AJ2017の告知を、前回のブログを書いた数時間後に知ったわたしは「あー、こんなにタイムリーに来ちゃったか」と思った。どうしょうもない気持ちを抱えながら、下北沢で一人泣いた。これが所詮自分の限界なんだと、そう思ってしまった自分が確かにいた。死ぬほど悔しかった。


わたしのこの熱量は、もしかしたら意地なのかもしれない。義務感もあるのかもしれない。そんなわたしを、推しも気づいているのかもしれない。でもそれだけで、海は渡れない。CDは積めない。14時間もバスに乗れない。意地や義務感だけで、わたしはここまでガムシャラになれる人間じゃない。

わたしにとって、推しは道標なのだ。わたしの生きるたった一つの光であり、源であり、救いなのだ。今まで誰でも何でも、埋められなかった沢山の穴を、生まれて初めて埋めてくれたのが、今の推しなのだ。


「君がいないと生きていけない」なんて、チープな歌詞がよくある。そんな歌を聴くたび、んな訳ねーよと思う。でもきっと今のわたしは、それなのだ。弱くて、脆くて、か細い線の上をフラフラになりながら歩いてるわたしは、きっと今推しがいなくなってしまったら生きていけない。

依存だろうと、いい年してみっともないと、人間的にどーなのかと、そう言う人もいるかもしれない。それでもわたしが今、社会に出て普通に生きているのも、朝起きて昼仕事して夜眠れているのも、ほんの少しの幸せを噛み締めていられるのも、全部全部推しのお陰なのだ。


新宿ミロードのスタバでそんなことを考えながら、わたしは決めた。AJ2017に行こう、と。そのままわたしは勢いでバスをキャンセルして、スケジュールを調整した。たった30分、一角の小さいブース、主役ではなくゲスト。それでも構わなかった。ただただ会いたかった。


そんな暗い気持ちのまま、推しのリリイベに行った。会場に入って推しの声が聞こえても、顔が上げられなかった。推しに何を話せばいいのか、わたしはちゃんと笑えるのか、まずこんな気持ちのまま来てよかったのか、分からないままだった。

それでも顔を上げたら、いつも通り笑顔の推しがいた。今日会えなかったらきっとこんな嬉しいこともなかっただろうなと思いながら、一番後ろの席でひたすらに泣いた。友だちに心配をかけた。ごめん。でも、こんなに泣いたのは夏ぶりだった。


順番が来て、推しの前に立った。わたしは聞いた。

「明日の告知、もうすぐ出るんでしょ?」

推しは少し気まずそうな顔をしながら、

「あー、あれね、うん」

とだけ言った。


わたしは思わず泣きながら、

「こんな告知が続いたら、わたしはついていけなくなるんじゃないかと思った」

と、小さい声で零してしまった。ごめんね、推し。やっぱり前に立つと、顔は見れなかった。

「それでもついていく」

わたしは伝えた。それは確かな決意だった。ちょっとびっくりされた。推しのそんな顔もわたしは好きだった。


きっと今わたしの推しは、沢山の落とし穴や、迷い道や、底なし沼を、ただひたすらに避けながら必死に走っている。きっと推しだって迷っているのだ。わたしの何十倍何百倍も、推しはひとりで悩んでいるのだ。道標だって、先を見失うことくらいあるはずなのだ。

そんな推しに、今わたしができることってなんなんだろう。きっとお別れするその日まで、この問いかけは続くのだろう。でも、それでいいとわたしは思う。


ただ好きでいることに理由なんてないよ。