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LUCID DREAMING.

君とのことは夢かもしれないな

君とのことが夢だったとしても。

こんばんわ。


早速ですが!みんな聞いてー!わたしのブログにー!初めてコメが付いたー!めちゃくちゃ嬉しかったです。通話しながらンエッ?!って叫びました。わざわざ書いて下さったそこのあなた、本当にありがとう。これからも(亀)更新するので、待っててくれたら嬉しいです…!


さて、今回はわたしにしては珍しくちょっと幸せな(?)ブログを書くよ。関係ない他人の幸せ見たくないって人(例:病んでる時のわたし)は戻ってね!今度幸せな時に見て、その時に幸せを分かち合おうね。


わたしと推しの話をしようと思う。

わたしは今の推しをひょんなきっかけで好きになった。たまたま行ったツアーで最前に入り、たまたまそこにいた推しの歌を数年ぶりに聴き、たまたま目が合った瞬間にすごく優しい笑い顔をされ「ああこの人だ」と直感し、そして今のわたしがある。本当に一瞬のことで、何故その時そう思ったのか、何故こんなにも好きになったのか、正直今でもよく分からない。


そこからわたしは推しの現場に通った。

正社員の社会人なので、行けないイベントやライブもたくさんあった。それでも行けるだけの全てのイベントに行った。推しがいるところに東西南北は関係なかった。電車に乗る日も、夜行バスに乗る日も、新幹線に乗る日も、飛行機に乗る日も、わたしはいつもドキドキワクワクしていた。


でも、ライブでわたしの席が悪く、いつもよりレスが少なくて不安に思った日もあった。後ろにたくさんの人がいるリリイベで、上手く話せなくて後悔した日もあった。見えない誰かに常に悪口を言われているような気がして、気が気じゃなかった日もあった。決して推しと過ごす時間の全てが、「楽しい」とか「嬉しい」だけの思い出じゃなかった。わたしは約一年と一ヶ月の間に、たくさん泣いて、悔やんで、怒って、沈んだ。


それでも、あの日わたしをわたしと認識してくれた時の表情が、二人で合わせた振りが、わざわざ会いに来てくれた日が、歩いた時間が、なんてことない会話が、頭を撫でてくれた手の温度が、たくさんの大切な思い出が、今のわたしを生かしている。

全ての思い出が、今のわたしを創っている。


たくさんのリスナー(ファン)がいる中で、わたしと目が合ったことは偶然だったのかもしれない。あの行動は全て気まぐれだったのかもしれない。わたしじゃなくても良かったことなんて、星の数ほどあったのかもしれない。もしかしたら、わたしの想いは重荷なのかもしれない。たまたまわたし達の生きている速度が被っただけなのかもしれない。


けれど間違いなく、今日のわたしは昨日のあなたに支えられている。明日のわたしは明後日のあなたに生かされている。あなたがいてくれるから、今日もわたしは前を向ける。未来を予想できる。伝えたい言葉が浮かぶ。重いしキモいけど、それだけで次会う日までわたしは頑張れる。その事実がわたしの中で生きている。それだけでいい。


いつか進んでいくあなたを見送る日が来ても、違う道をゆく日が来ても、もしかしたら全て夢だったとしても、あの時のわたしは全力だったと言える。明日全てが終わるとしても、わたしは本当に幸せだったと言える。


全てのことに確証なんてないから、日々がこんなにも愛おしい。いつかがあるからこそ、伝えたい言葉がある。素直じゃないから、普段は言わないけど。


あなたを好きになれて、良かった。

明日は君に話せなかった
言葉を話したくなって
そしたら君は笑うかなって
思ったり、思ったりしている

明日はまた君を好きになって
言葉じゃ足りなくもなって
いつかは二人離れ離れでも
伝えたくなった
伝えたくなっていく

「ハートトゥハート/西沢さんp」

僕が資本主義で在る理由。

こんばんは。
いや、おはようございます?

夜行バスひさびさの最終列でテンション上がって書いちゃいました。「ブログ書いて!」ってしつこく(しつこく)言ってくれたあなた達のお陰だよ。わたしの底なしの承認欲求満たしてくれてありがとう。

今回はまたまた題名のとおり、「わたしが資本主義にこだわる理由」について書こうと思う。


早速ですが、資本主義って?と思われる方がもしかしたらいるかもしれないのでWikipediaから引用します。

資本主義(しほんしゅぎ、英: capitalism)または資本制は、生産手段の私的所有および経済的な利潤追求行為を基礎とした経済体系である。

ふむ。意味がわからん。(当ブログの主はバカです)

まあ簡単に言えば、利潤追求行為とは「利益」「もうけ」を求める行為であり、わたしはその行為に則った考え方をしている、ということになります。要するにわたしはうまい具合に乗せられるいいカモ、ただの財布。………きええ!


基本的に歌い手厨という生き物って、主にネットシーンで活躍する歌い手が好きなこともあってか、あんまり「現場に頻繁に足を運ぶ」「積極的にお金を出す」という行為について肯定的ではないとわたしは思う。勿論そういう考え方の人もいるけど、極わずかな気がする。元々歌い手を推すのって「放送に行く」「コメを打つ(リプライを送る)」「投稿作を聴く」だけで成立する推し事だからかな?

だけど最近の歌い手界隈は、大手になればなるほど活動範囲が広がってきている。

DJ、MC、作詞作曲、ボカロp、声優、アニソン歌手、バンド活動、舞台俳優(女優)、ブランドとのコラボなど、様々なジャンルへの進出。それに伴い現場数が増え、新たなイベントが次々と行われている。


正直に言うと、わたしはついていくのがやっとだよ。推しが次は一体何をするのか、底辺ヲタのわたしには到底分からないもん。もしかしたら推しだって、ハッキリとしたビジョンは分からないのかもしれない。

ただ推しが何になってどこに行こうと、ついていきたいと思う気持ちがわたしにはある。きっと楽しみな反面、不安であろう推しを支えたい気持ちがある。それらは全て思い上がりかもしれないけれど。それでも。


そんな中でわたしに出来ることは、「現場に頻繁に足を運ぶ」「積極的にお金を出す」ことだと思う。わたしの出すチケット代やグッズ代やCD代が、1円でも推しのお給料になるならこれ以上のことってない。逆にわたしの存在価値ってそこしかない。お金を出せないわたし(ヲタク)って、推しにとって無価値な存在だから。ただの烏合の衆のひとりになってしまうから。

全国の同じライブに行ったり、CDのリリースイベント全通してみたり、言うてそんなに使わないグッズを買ってみたり、同じCDを60枚以上買ってみたり。そんなわたしの行為は、人から見ても(もしかしたら推しから見ても)ただのバカなのかもしれない。

でもこれがわたしが推しに出来る最良だから。あなたが売れますように。何十年先も音楽や演劇が仕事だと、言えますように。そう信じて、願って、わたしは毎日働いてお金を稼ぎ続けている。


これからも推しを応援し続ける限り、きっとわたしはどこまでも通い、積み、何度だって会いに行く。例えそれらの行為が、いつか来る最後の日にわたしの手に何も残さないと知っていても。衝動的な生き物だから、ただただ好きだから、分かっていても止められない。


なんて、可哀想な生き物なんだろうね。

働いて働いて きみを思い出して
永遠を信じたくて これが恋じゃなくても
働いて働いて きみのためにもっと
別れ際手を振って 少し泣いた

「勤労と感謝/さよならポニーテール」

君って思ってたより哲学だった。

こんばんわ。

推しが火曜日のパーソナリティを務めたラジポップ2.5が、終わってしまった。毎週普通に放送していたのに、終わりは本当に突然だった。最初信じられなくて「えっ、終わる?シーズン3始まる?」なんて思った人も多いだろう。まあわたしなんだけどね!


最終回を聴きながら、わたしは色んなことを思い出していた。コーナーが増えるたびに推しが楽しそうにしていたこと。忙しい時期でもラジオの日だけは声が聴けて安心したこと。ゲストさんが来るたびに新しい顔が見れたこと。途中から聴き始めたわたしでも分かるくらい、だんだん話が上手くなっていったこと。


わたしは、推しの過去のラジオや放送やテレビ番組をちゃんと見たことがなかった。「話ヘタだな〜」と思ってたし、実際見た時も面白いとか楽しいとか、そういう感情が湧いたことが一切なかった。今思うとヲタク失格なのかもしれない。でも推しのパフォーマンス以外に、求めるものも、興味もなかったのだ。


でも今回は違った。22時に仕事が終わった日も、ラジオのために自宅にガンダして帰った。外に出ていてギガが足りない日は、チャージしてまで聴いた。翌日仕事で5時起きの日も、眠気眼を擦りながら布団の中で聴いた。感想もたまにしか言わなかったしコメントも打たなかったけど、毎週楽しみだった。週半ばに聴く推しの声がわたしの支えだった。


そして、わたしはある事に気付いた。気づいたというよりは感じた。

あれ?わたし、ちゃんと思い出があるぞ?

いやなんのこっちゃと思うかもしれない。そうじゃなくて、わたしは今まで自分には「回数を重ねた思い出」しかないと思っていたのだ。それはわたしの中で、「時間を重ねた思い出」ではなかった。


大袈裟かもしれないけれど、推しとの時間って一つの歴史なのだ。今まで頭では分かっていたけれど心のどこかは納得していなかったことが、その瞬間ストンと腑に落ちた。「歴」という言い方はあまり好きじゃないけれど、やっぱりそれは「≒」で繋げることの出来る間違いない愛なのだ。

じゃあわたしは?わたしにとっての愛って、いったい何なんだろう?

現場に行くこと?CDや握手券を積むこと?プレを渡したり、フラスタを出すこと?推しの動画を宣伝すること?ツイートにリプライを送ること?それともやっぱり、歴なのだろうか?


現場に行くこと。
前にとある活動者の女の子が、「わたしのガチ恋とかいるけど口だけじゃん!会いに来てくれないのに繋がりたいとか、そういう好意だけぶつけられても困る。好きなら会いに来てよ!」と、わたしに零した。口だけの好きって、意味を成さない。お金とか、時間とか、労力とか、そういうものを推しの見えるところ見えないところに関わらず、重ねていくことが大切なんじゃないのかな?………これを見ている活動者とそのリスナーの皆はどう思いますかー!?(ここで丸投げ)


積むこと。
ヲタクとして回数を重ねることって、とても大事だとわたしは思う。全通しているわけではないから偉そうなことは言えないけれど!あとはもうただひたすら売り上げ貢献です。わたしが買ったCDを聴いた友だちが、実際にライブや接触に来てくれたりするし。そういう小さいことの積み重ねで、きっと人気って出るんだろうなあ。


プレを渡したりスタフラを出すこと。
これに関してはスタフラのみの話になるけど、まず推しに喜んでほしいから。その次は、ハッキリ言うと見栄だ。どの出演者宛の花よりも、大きくて見栄えが良くて綺麗な花を推しに出したい。そしたら、それを見た関係者が「この人のファンにはこんな花を出す人がいるのか。次にこの人をオファーしたら、集客や利益があるかな?」と思うかもしれない。一縷の希望レベルの話だけど、わたしは毎度そう思って花を出している。これは、推しには知られなくていい話。最後まで内緒にする話。


動画を宣伝したり、感想を送ること。
これは在宅でも出来る一番簡単な応援の仕方じゃない?時間がないとかお金がないとか、そういうのも関係ないじゃん?これらが出来なければ、きっと何も始まらない。きっと一番大切なことだとわたしは思う。


歴は、それらを積み重ねていくうちに気づけば経っているものなんだと思う。推しのいろんな姿や、夢が叶っていく瞬間、応援するにあたって出来ていく悩み。そういうものを蓄積した結晶のようなものなのだろう。こればかりはきっと何をもっても埋められない。ただ好きでいること。簡単なようで一番難しいことだから、誇りになり得るんだとわたしは思う。


こう考えると、愛ってたくさんの種類がある。ヲタクが一人いれば、そのヲタクなりの愛がある。一方的だとしても、勝手だとしても、誰も誰かのやり方を否定することは出来ないし同調する必要もない。好きにやればいいよ。あなたにしか出来ないやり方が、きっとあるはず。勿論わたしにもね。

ちなみにわたしにとっての愛とは、推しの未来に繋がることの全て。お金を使うことであり、同じ時間を過ごすことであり、労力をかけることだった。もしこれから先、考えが変わったら、その時はまたわたしなりにやってみようと思う。


最後に、質問です。

これはいつか聞きたいことだけど、推しへ。
わたしは今、あなたに何ができていますか?

これを読んでくれた皆へ。
あなたは愛のために、何ができていますか?

春夏秋冬を繰り返し いつの間にかひとまわり
めぐりめぐって訪れた 私のオリオン

手に入れるものじゃなくて
約束交わすことじゃなくて
それぞれに向かう場所が
似ていたらいいと思う

「僕たちが恋をする理由/坂本真綾

あなたのガッツはどこから?

こんばんわ。

今回はスタンスをテーマにブログを書こうと思う。そしてまず言っとく。

推すスタンスは、各々勝手にしてクレメンス!まじでわたしには関係ないから!

ではスタート。


3月25日。推しのリリイベの後に友だち達と、その中のひとりのパパとの5人で塚田に行った。乃木坂ヲタのパパは、わたしのメンがヘラりながらも割り切った性格に何故か食いつき、幾つか質問をしてきた。その中でわたしが一番刺さったのが、

「あやかは、いつまでこの調子で応援できる?」

というものだった。正直な話、答えに困った。あの時パパの言った「この調子」というのは、推しに対するお金のかけ方であり、時間の使い方であり、体力であり、精神力であり、熱量だった。


例え話をしよう。鍋に水が入っていて、温めているとする。沸騰しすぎると、お湯は溢れて零れる。火が消えてしまうと、お湯は水となり冷めてしまう。ずっと煮続けると、お湯はいつしか空気になってしまう。鍋を分けると、お湯の分量は偏ってしまう。

この中での鍋はキャパシティだ。お湯は推しへの想いで、火力は熱量だ。想いは熱すぎると、沸き立ちすぎて保ち続けられない。熱量が伴わなくなると、想いはいつしか冷めてしまう。ずっと同じ調子でい続けると、想いは気づけば霧散してしまう。キャパシティが足りなくて想いを分けると、比重はいつしか偏ってしまう。

ガッツだって、リアコだって、他界だって、推し変だって、二推しだって、何かしらの理由があるはずなのだ。いつの間にか推しにそれ以上の感情を持っていることも、もう限界が近いことも、もう想いが他に向かっていることも、みんな気づかないようにしているだけで。


話を戻そう。
わたしは少し考えてから、パパに向かって答えた。

「あときっと、もって2年、ですね」

悲しいけど、笑うしかなかった。


2年。既に経った時間と合わせたら、3年。長いようで、短い時間だ。きっとわたしのような1人のリスナーのことなんか、忘れてしまう長さだ。そして、わたしの周りのガッツたちの熱量が消えていった長さだ。


これはわたしの勝手な自論だけれど、ガッツの賞味期限って、きっとだいたい3年なのだ。わたしは今ガムシャラに、前も後ろも右も左もわからない振りをしてひたすらに走り続けているけど、いつかその日は来るのだ。今は信じたくないし、悲しいけれど。

傍から見たら頭がおかしいくらいのガッツだって、やっぱり人間だから。ある日突然、燃え尽きてしまったりもするのだ。わたしの周りがそうだったように。


それでも今のわたしは推しが好きだから。わたしはその日まで後悔しないようにガッツでいたいと思う。誰になんと言われようが、図太く現場にい続けると思う。そしてその日が来たら、推しにもヲタクにも何も言わず、本当の意味で消えたいと思う。ずっと好きなんて、心の中だけじゃ意味はないから。わたしの替えなんて、幾らでもいるから。


いつかわたしが消えた後、心から何の邪な感情も無く「ただ好きだったんだよ」と、そう言えますように。

いつか見た夕焼けは あんなにキレイだったのに
恋なんて呼ぶには 遠回りしすぎたよ
そして 何もかもが 手遅れの灰になった後で
僕は今更 君が好きだって
君が好きだったって言えたよ

「地球最後の告白を/kemu」

例えば、今わたしの道標が君だとして。

こんばんわ。

東京から帰ってきた。今回の遠征は、私史上最高にハードだった。生まれて初めての前日告知、まーじでびっくりした。寿命縮まったよ!

AJ2017の告知を、前回のブログを書いた数時間後に知ったわたしは「あー、こんなにタイムリーに来ちゃったか」と思った。どうしょうもない気持ちを抱えながら、下北沢で一人泣いた。これが所詮自分の限界なんだと、そう思ってしまった自分が確かにいた。死ぬほど悔しかった。


わたしのこの熱量は、もしかしたら意地なのかもしれない。義務感もあるのかもしれない。そんなわたしを、推しも気づいているのかもしれない。でもそれだけで、海は渡れない。CDは積めない。14時間もバスに乗れない。意地や義務感だけで、わたしはここまでガムシャラになれる人間じゃない。

わたしにとって、推しは道標なのだ。わたしの生きるたった一つの光であり、源であり、救いなのだ。今まで誰でも何でも、埋められなかった沢山の穴を、生まれて初めて埋めてくれたのが、今の推しなのだ。


「君がいないと生きていけない」なんて、チープな歌詞がよくある。そんな歌を聴くたび、んな訳ねーよと思う。でもきっと今のわたしは、それなのだ。弱くて、脆くて、か細い線の上をフラフラになりながら歩いてるわたしは、きっと今推しがいなくなってしまったら生きていけない。

依存だろうと、いい年してみっともないと、人間的にどーなのかと、そう言う人もいるかもしれない。それでもわたしが今、社会に出て普通に生きているのも、朝起きて昼仕事して夜眠れているのも、ほんの少しの幸せを噛み締めていられるのも、全部全部推しのお陰なのだ。


新宿ミロードのスタバでそんなことを考えながら、わたしは決めた。AJ2017に行こう、と。そのままわたしは勢いでバスをキャンセルして、スケジュールを調整した。たった30分、一角の小さいブース、主役ではなくゲスト。それでも構わなかった。ただただ会いたかった。


そんな暗い気持ちのまま、推しのリリイベに行った。会場に入って推しの声が聞こえても、顔が上げられなかった。推しに何を話せばいいのか、わたしはちゃんと笑えるのか、まずこんな気持ちのまま来てよかったのか、分からないままだった。

それでも顔を上げたら、いつも通り笑顔の推しがいた。今日会えなかったらきっとこんな嬉しいこともなかっただろうなと思いながら、一番後ろの席でひたすらに泣いた。友だちに心配をかけた。ごめん。でも、こんなに泣いたのは夏ぶりだった。


順番が来て、推しの前に立った。わたしは聞いた。

「明日の告知、もうすぐ出るんでしょ?」

推しは少し気まずそうな顔をしながら、

「あー、あれね、うん」

とだけ言った。


わたしは思わず泣きながら、

「こんな告知が続いたら、わたしはついていけなくなるんじゃないかと思った」

と、小さい声で零してしまった。ごめんね、推し。やっぱり前に立つと、顔は見れなかった。

「それでもついていく」

わたしは伝えた。それは確かな決意だった。ちょっとびっくりされた。推しのそんな顔もわたしは好きだった。


きっと今わたしの推しは、沢山の落とし穴や、迷い道や、底なし沼を、ただひたすらに避けながら必死に走っている。きっと推しだって迷っているのだ。わたしの何十倍何百倍も、推しはひとりで悩んでいるのだ。道標だって、先を見失うことくらいあるはずなのだ。

そんな推しに、今わたしができることってなんなんだろう。きっとお別れするその日まで、この問いかけは続くのだろう。でも、それでいいとわたしは思う。


ただ好きでいることに理由なんてないよ。

あー それでも逢いたいな って
何度もループ ループする
心があなたで鳴っている
それだけが確かだ
それだけでいいよ。

あぁ、星が周るように
ぼくらはずっとループする
想いが軌道を描いている
あなただけを追うよ

あー いますぐ逢いたいな って
命がループ ループする
この周回軌道上にあなたがいなくても
それ以外想えない
そこに大体、愛が在るだけ

「惑星ループ/ナユタン星人」

いつか君が歌い手じゃなくなる日が来ても。

こんばんわ。

今、わたしは推しのキャスを聞きながらこれを書いている。わたしのTwitterのアカウントを知っている人からしたら、今のわたしのメンタルヘルスは尋常じゃないと思っているだろう。から、クソみたいな駄文になること間違いなし。でもこれは一ヲタクのただの独り言だから、掃き溜めだから、どうか許してほしい。


推しが11月からまともにライブに出ていない。もうかれこれ4ヶ月の間、わたしはまともに歌を聴いていない。その間にわたしはひとりで考えていた。


「推しは、一体この先何になりたいんだろう」


声優かもしれない。

舞台役者かもしれない。

普通に歌手になるのかもしれない。

それともそれ以外の何か?


わたしはこの中なら、推しは声の仕事をする人になりたいのかなと思う。前に本人とではないが、そういう話をしたこともある。身近なその人の話を聞いて、ちょっと納得してしまった自分がいた。


冒頭に書いた通り、今のわたしのメンタルヘルスは尋常じゃない。なのでこれを泣きながら書いている。推しのDAYBREAK FRONTLINEを聴きながら。


推しがこの前某実況イベントにMCとして出演した。当たり前だけど、歌わないし演じない。多分その日のお客さんに推しのファンは少なかった。いつもだったらかなりの集客力を誇る推しも、その日はごく普通の出演者だった。ゲーム実況者に囲まれた、普通の歌い手だった。

推しが歌うから、ライブに行く。演じてるから、舞台に行く。でもそれらをしないイベントばかりが続いた時、今まで通りのスタンスとモチベーションで応援し続けられるリスナーは、どのくらいいるのだろうか。今みたいに手の届く距離で話をしたり、目が合う位置で歌を聴けたりすることがなくなったとして、どのくらいの人数が今まで通りの熱量で頑張り続けることが出来るのだろう。そんなことを頭の片隅で考えながら、わたしは進行していくイベントを見ていた。


ウダウダ悩んでいても、それでも推しは進んでゆく。立ち止まったリスナーは置いて行かれる。そういうお仕事なのだから、仕方がない。推しだってお金を貰っている「プロ」なのだ。人気商売は、立ち止まったらそこで終わりなのだ。

この前、推しはわたしに「ちゃんと考えてるから、頑張るから」と言った。その言葉を聞いた時、わたしはまだ頑張らなければ、まだ支えなければ、と強く思った。推しが三十路になっても、四十路になっても、この世界で生きていけるように。新参のくせに、小生意気にそう思ったんだ。


この先誰に出会っても、何を知っても、もう推し以外を今のようなパワーと熱量で応援することは、きっとわたしには出来ない。どんなに好きになったとしても、かけがえがないとしても。だからこれが、本当に最初で最後なのだ。

いつか君が歌い手じゃなくなる日が来ても、きっとわたしはあの日の言葉のとおり「短いようで長かったね。おつかれさま」なんて言って笑いながら、また当たり前のように夜行バスに乗るんだろう。


そして今日も、推しに会いに行くのだ。

どれくらい長く生きても
君がいないのはやだ
窓辺の花火にぽつり
「頼りなくてごめんね」

朝から夜の端まで君に恋している lala
地上から空の星まで連れていく約束

君に恋しているから

土星の窓辺/西沢さんp」