LUCID DREAMING.

君とのことは夢かもしれないな

それでもわたしはわたしを認めたい。

こんばんわ。


すっかり筆不精に磨きがかかってしまった。だって毎日毎日働くか寝てるかで生きてるのか死んでるのか分かんない何の面白みの欠片もない人生なんだもん!そりゃネタなんてないよ!

今回はわたしがわたしで在るためにしてきたことを真っ向から否定しようと思う。ちなみに今すっごい暇なんか?と言われたら全くもってNO。明日も9:00から22:00までバイトです!死にてえ。


ところで、わたしはつい最近まで(きっと他人から見たら)とってもストイックなおたくだった。ただひたすら推しの為に必死に働き、己のマイナスを省みず、きっと誰よりも必死にただ前だけを向いてこの16ヶ月を過ごしてきた。それが辛かったか?と問われるとそうではない。その間、確かにわたしは推しからたくさんのお返しを貰っていたから。それがいつも涙がこぼれる程に嬉しかったから。

そんな感じで限界まで削って削って削ってただガムシャラに足掻いてきたけれど、少し限界を突破してしまったらしい。5月にガタがきて、まず会社に行けなくなった。次に寝れなくなって、起きれなくなって、ごはんが食べれなくなって、外に出れなくなった。心底死にたいと思ったし、何度も意味もないことで泣いた。仕方がないので医者に行った。診断結果は双極性Ⅱ型障害という、躁鬱と鬱病が混在したれっきとした病気だった。


それでもわたしは諦めなかった。 " 長時間の労働ができない身体になってしまったのなら心身を削って短時間で稼けばいい!" 今思うとバカだ。大バカすぎる。それでもわたしは大真面目だった。結果としてわたしは一日で大金を手に入れることとなった。

心身が麻痺した後、次は感覚が麻痺した。「普通」が分からなくなった。普通の量、普通の金額、普通の考え方、普通の生き方、全て分からなくなった。今もまだ麻痺した状態から100%は抜け出せていないから、ちょっとおかしいままなんだと思う。


それでもそんな状態のわたしのことを、心配してくれる人達がいた。まずは自分のお母さん。会社に行けなくなった日から、こんなわたしのことを一度たりとも責めることはなかった。次にわたしの大切な人のお母さん。ただのファンのわたしのことをすごく心配してくれた。そしてわたしのお友だち。引き止めることはなかったけど、わたしのことを想ってくれた。わたしはそんな人達の存在があって、今また「普通」になろうとしている。


他人の為に見返りを求めず尽くせること。これはきっとわたしの美点であり、最大の欠点。それでもわたしはわたしのことを認めてあげたい。許してあげたい。救ってあげたい。わたしのことを一番に想えるのはわたししかいないから。わたしが生きてきた中で一番必死だった日々を、意味のないものだと思いたくないから。


推しの為に生きるのは、あと2ヶ月と2日。それが終わったら、わたしはやっとわたしの為に生きようと思う。

さよならとありがとうの混在したわたしは、その日やっと本当の意味で報われるのだと思う。

愛でごはんは食べられない。

こんばんわ。

めーーーっちゃくちゃひっさしぶりにブログを書いてる気が…。もともと怠惰で筆不精な質なので面倒だと思った瞬間、一切やる気なくなっちゃう。けど、今回は自分を戒めるために書こうと思います。


今回のテーマは『お金=愛?お金=応援?』

これって難しいテーマだよね。グッズ厨の『量=愛』とか、全通勢の『現場数=愛』って考え方をシンプルに表現したら、こうなるとわたしは思っている。


わたしの意見は、題名と同じ。

『愛でごはんは食べられない。』


そりゃあ、「応援する気持ち」や「好きという気持ち」は必要不可欠だと思う。ただ在宅リプライあるあるの「応援してます!」 「早く〇〇にも来てください!」 これってなにか推しの為になってるの?そう言い続けて来てくれたところで、それはあなたの想いの強さではなくガッツの積み重ねです。


前にも書いたけれど、歌い手を応援することは元々はお金のかからない推し事だ。動画を再生して、生放送やキャスでコメをして、感想リプを送って。ただどんどん人気になって大きくなっていけばいくほど、そういう訳にはいかなくなる。事務所に所属したりしている歌い手を応援しているのなら尚のこと。

そこで「昔と変わってしまった」「今の方針にはついていけない」「前より遠い存在になってしまった」 そう感じて離れるのは結構。それはあなたの心がそれまでだったということ。あなたが求めていた推しは、所詮幻想だったということ。


パフォーマンスを仕事にしている人を応援することって、いつかはお金がかかる。遠い存在になるのは当たり前だし、言葉だけじゃ人はごはんを食べられない。

悲しいけれどそれが現実で、辛いけれど受け止めなければ一緒に前には進めない。


わたしは今、双極性Ⅱ型障害なる治らないビョーキで、アップダウンが激しかったり喜怒哀楽が激しかったり、そういう面倒なことになってて普通に仕事は出来ないけれど、それでもついて行きたい。もう前のようなガッツで応援することはできないのかもしれないけれど、そう在り続けたい。

なのでお医者先生に「君はいかりを失くした漂う船なんだ…休養しなさい…」とか言われても構わず働き続けている。幸い今のおバイトは普通のバイトとは違って、時間の融通が効く。信頼問題に響くから当欠はしないようにしてるけど…。


お金で買えるものって、きっとまだ安い。本当に大事なものはお金じゃ手に入れられない。わたしは推しの存在が「本当に大切なもの」だから、それを守るために今必死に働いている。それがわたしが『お金=応援』だと思う理由なのかもしれない。


前だけ向いてひたすら努力して精神を磨り減らして働いて。それでも尚、わたしはあなたが輝く姿が見たい。

わたしのそれを愛と呼ばず何と呼ぶのか、誰かわたしに教えてほしい。

今のわたしに価値なんてないよ。

こんにちわ。


こんな時間にブログあげるの初めてじゃない?あやかさん、仕事は?と思ったそこのあなた!あやかさんは二週間、ドクターストップかかってお仕事休みになったんですよ。期間限定フリーターデビュー、ウケる(ウケない)


朝、仕事してたら突然の症状。目眩、浮遊感、手足の震え、火照り、胃のむかつき、喉の乾きと詰まり、今まで当たり前にできていたことがいきなり分からなくなるetc…がドッと押し寄せてきて立ってられなくなっちゃいまった。

渡された診断書にはストレス関連障害の文字。なんじゃそりゃ。そんな病気ないから適当に書いたんでしょう。ちな、これで1000円飛んだ。マジクソ。

GW明けのお仕事が苦手なパイセンと二人で、でもそんなことよくある事だし〜社畜としてお金もらってるからには〜とか思って出勤したらこれ。まじメンタル弱いなこのゴミ!くらいに思ってていいです。そういうメンヘラほど、なかなか死なないので。


ただただ「推しに会いに行くため」って思うだけで、何十連勤しても苦じゃなかったこの14ヶ月間。推しの笑顔を見るだけで、何でも頑張れた14ヶ月間。推しの存在に支えられて、生きてきた14ヶ月間。きっとわたし、世界の誰よりも最強だった。今ここで頑張れなくなっちゃったことが、本当に悔しい。


今のお仕事に関してはもともと辞める予定だったので良いんだけど、こんな感じになっちゃったのは、ちょっとね。家族と会社になんて言おうかな、どうしよう。ちゃんと七月までは、勤務するつもりだったのにな。

新しい職場の目安は付けてるし、別の場所でもかる〜く働いてるんで二週間はゆるっとそっちで働く予定だけど、そういう問題じゃないし。休み方を忘れてしまったわたしは、動くことしか出来ない機械と化してしまったのです。


ねえ、今、頑張ってるあなたの前に立つことが本当に恥ずかしいよ。ずっと励ましてくれたり相談乗ってくれたりしてたのに、ちゃんと頑張れなくて、ごめんね。こんな弱いやつなんだよ、わたしって。みんなが出来ることも普通に出来ないんだよ。見損なったでしょ。

それでも病院で待ってる間、「あぁ会いたい」とか、やっぱり思っちゃって。だって出会った日からわたしの全てなんだよ。どうしょうもないし、救われない。そんなこと初めから分かってる。


19日、わたしはどんな顔をしてあなたに会えばいいのかなぁ。

君とのことが夢だったとしても。

こんばんわ。


早速ですが!みんな聞いてー!わたしのブログにー!初めてコメが付いたー!めちゃくちゃ嬉しかったです。通話しながらンエッ?!って叫びました。わざわざ書いて下さったそこのあなた、本当にありがとう。これからも(亀)更新するので、待っててくれたら嬉しいです…!


さて、今回はわたしにしては珍しくちょっと幸せな(?)ブログを書くよ。関係ない他人の幸せ見たくないって人(例:病んでる時のわたし)は戻ってね!今度幸せな時に見て、その時に幸せを分かち合おうね。


わたしと推しの話をしようと思う。

わたしは今の推しをひょんなきっかけで好きになった。たまたま行ったツアーで最前に入り、たまたまそこにいた推しの歌を数年ぶりに聴き、たまたま目が合った瞬間にすごく優しい笑い顔をされ「ああこの人だ」と直感し、そして今のわたしがある。本当に一瞬のことで、何故その時そう思ったのか、何故こんなにも好きになったのか、正直今でもよく分からない。


そこからわたしは推しの現場に通った。

正社員の社会人なので、行けないイベントやライブもたくさんあった。それでも行けるだけの全てのイベントに行った。推しがいるところに東西南北は関係なかった。電車に乗る日も、夜行バスに乗る日も、新幹線に乗る日も、飛行機に乗る日も、わたしはいつもドキドキワクワクしていた。


でも、ライブでわたしの席が悪く、いつもよりレスが少なくて不安に思った日もあった。後ろにたくさんの人がいるリリイベで、上手く話せなくて後悔した日もあった。見えない誰かに常に悪口を言われているような気がして、気が気じゃなかった日もあった。決して推しと過ごす時間の全てが、「楽しい」とか「嬉しい」だけの思い出じゃなかった。わたしは約一年と一ヶ月の間に、たくさん泣いて、悔やんで、怒って、沈んだ。


それでも、あの日わたしをわたしと認識してくれた時の表情が、二人で合わせた振りが、わざわざ会いに来てくれた日が、歩いた時間が、なんてことない会話が、頭を撫でてくれた手の温度が、たくさんの大切な思い出が、今のわたしを生かしている。

全ての思い出が、今のわたしを創っている。


たくさんのリスナー(ファン)がいる中で、わたしと目が合ったことは偶然だったのかもしれない。あの行動は全て気まぐれだったのかもしれない。わたしじゃなくても良かったことなんて、星の数ほどあったのかもしれない。もしかしたら、わたしの想いは重荷なのかもしれない。たまたまわたし達の生きている速度が被っただけなのかもしれない。


けれど間違いなく、今日のわたしは昨日のあなたに支えられている。明日のわたしは明後日のあなたに生かされている。あなたがいてくれるから、今日もわたしは前を向ける。未来を予想できる。伝えたい言葉が浮かぶ。重いしキモいけど、それだけで次会う日までわたしは頑張れる。その事実がわたしの中で生きている。それだけでいい。


いつか進んでいくあなたを見送る日が来ても、違う道をゆく日が来ても、もしかしたら全て夢だったとしても、あの時のわたしは全力だったと言える。明日全てが終わるとしても、わたしは本当に幸せだったと言える。


全てのことに確証なんてないから、日々がこんなにも愛おしい。いつかがあるからこそ、伝えたい言葉がある。素直じゃないから、普段は言わないけど。


あなたを好きになれて、良かった。

僕が資本主義で在る理由。

こんばんは。
いや、おはようございます?

夜行バスひさびさの最終列でテンション上がって書いちゃいました。「ブログ書いて!」ってしつこく(しつこく)言ってくれたあなた達のお陰だよ。わたしの底なしの承認欲求満たしてくれてありがとう。

今回はまたまた題名のとおり、「わたしが資本主義にこだわる理由」について書こうと思う。


早速ですが、資本主義って?と思われる方がもしかしたらいるかもしれないのでWikipediaから引用します。

資本主義(しほんしゅぎ、英: capitalism)または資本制は、生産手段の私的所有および経済的な利潤追求行為を基礎とした経済体系である。

ふむ。意味がわからん。(当ブログの主はバカです)

まあ簡単に言えば、利潤追求行為とは「利益」「もうけ」を求める行為であり、わたしはその行為に則った考え方をしている、ということになります。要するにわたしはうまい具合に乗せられるいいカモ、ただの財布。………きええ!


基本的に歌い手厨という生き物って、主にネットシーンで活躍する歌い手が好きなこともあってか、あんまり「現場に頻繁に足を運ぶ」「積極的にお金を出す」という行為について肯定的ではないとわたしは思う。勿論そういう考え方の人もいるけど、極わずかな気がする。元々歌い手を推すのって「放送に行く」「コメを打つ(リプライを送る)」「投稿作を聴く」だけで成立する推し事だからかな?

だけど最近の歌い手界隈は、大手になればなるほど活動範囲が広がってきている。

DJ、MC、作詞作曲、ボカロp、声優、アニソン歌手、バンド活動、舞台俳優(女優)、ブランドとのコラボなど、様々なジャンルへの進出。それに伴い現場数が増え、新たなイベントが次々と行われている。


正直に言うと、わたしはついていくのがやっとだよ。推しが次は一体何をするのか、底辺ヲタのわたしには到底分からないもん。もしかしたら推しだって、ハッキリとしたビジョンは分からないのかもしれない。

ただ推しが何になってどこに行こうと、ついていきたいと思う気持ちがわたしにはある。きっと楽しみな反面、不安であろう推しを支えたい気持ちがある。それらは全て思い上がりかもしれないけれど。それでも。


そんな中でわたしに出来ることは、「現場に頻繁に足を運ぶ」「積極的にお金を出す」ことだと思う。わたしの出すチケット代やグッズ代やCD代が、1円でも推しのお給料になるならこれ以上のことってない。逆にわたしの存在価値ってそこしかない。お金を出せないわたし(ヲタク)って、推しにとって無価値な存在だから。ただの烏合の衆のひとりになってしまうから。

全国の同じライブに行ったり、CDのリリースイベント全通してみたり、言うてそんなに使わないグッズを買ってみたり、同じCDを60枚以上買ってみたり。そんなわたしの行為は、人から見ても(もしかしたら推しから見ても)ただのバカなのかもしれない。

でもこれがわたしが推しに出来る最良だから。あなたが売れますように。何十年先も音楽や演劇が仕事だと、言えますように。そう信じて、願って、わたしは毎日働いてお金を稼ぎ続けている。


これからも推しを応援し続ける限り、きっとわたしはどこまでも通い、積み、何度だって会いに行く。例えそれらの行為が、いつか来る最後の日にわたしの手に何も残さないと知っていても。衝動的な生き物だから、ただただ好きだから、分かっていても止められない。


なんて、可哀想な生き物なんだろうね。

君って思ってたより哲学だった。

こんばんわ。

推しが火曜日のパーソナリティを務めたラジポップ2.5が、終わってしまった。毎週普通に放送していたのに、終わりは本当に突然だった。最初信じられなくて「えっ、終わる?シーズン3始まる?」なんて思った人も多いだろう。まあわたしなんだけどね!


最終回を聴きながら、わたしは色んなことを思い出していた。コーナーが増えるたびに推しが楽しそうにしていたこと。忙しい時期でもラジオの日だけは声が聴けて安心したこと。ゲストさんが来るたびに新しい顔が見れたこと。途中から聴き始めたわたしでも分かるくらい、だんだん話が上手くなっていったこと。


わたしは、推しの過去のラジオや放送やテレビ番組をちゃんと見たことがなかった。「話ヘタだな〜」と思ってたし、実際見た時も面白いとか楽しいとか、そういう感情が湧いたことが一切なかった。今思うとヲタク失格なのかもしれない。でも推しのパフォーマンス以外に、求めるものも、興味もなかったのだ。


でも今回は違った。22時に仕事が終わった日も、ラジオのために自宅にガンダして帰った。外に出ていてギガが足りない日は、チャージしてまで聴いた。翌日仕事で5時起きの日も、眠気眼を擦りながら布団の中で聴いた。感想もたまにしか言わなかったしコメントも打たなかったけど、毎週楽しみだった。週半ばに聴く推しの声がわたしの支えだった。


そして、わたしはある事に気付いた。気づいたというよりは感じた。

あれ?わたし、ちゃんと思い出があるぞ?

いやなんのこっちゃと思うかもしれない。そうじゃなくて、わたしは今まで自分には「回数を重ねた思い出」しかないと思っていたのだ。それはわたしの中で、「時間を重ねた思い出」ではなかった。


大袈裟かもしれないけれど、推しとの時間って一つの歴史なのだ。今まで頭では分かっていたけれど心のどこかは納得していなかったことが、その瞬間ストンと腑に落ちた。「歴」という言い方はあまり好きじゃないけれど、やっぱりそれは「≒」で繋げることの出来る間違いない愛なのだ。

じゃあわたしは?わたしにとっての愛って、いったい何なんだろう?

現場に行くこと?CDや握手券を積むこと?プレを渡したり、フラスタを出すこと?推しの動画を宣伝すること?ツイートにリプライを送ること?それともやっぱり、歴なのだろうか?


現場に行くこと。
前にとある活動者の女の子が、「わたしのガチ恋とかいるけど口だけじゃん!会いに来てくれないのに繋がりたいとか、そういう好意だけぶつけられても困る。好きなら会いに来てよ!」と、わたしに零した。口だけの好きって、意味を成さない。お金とか、時間とか、労力とか、そういうものを推しの見えるところ見えないところに関わらず、重ねていくことが大切なんじゃないのかな?………これを見ている活動者とそのリスナーの皆はどう思いますかー!?(ここで丸投げ)


積むこと。
ヲタクとして回数を重ねることって、とても大事だとわたしは思う。全通しているわけではないから偉そうなことは言えないけれど!あとはもうただひたすら売り上げ貢献です。わたしが買ったCDを聴いた友だちが、実際にライブや接触に来てくれたりするし。そういう小さいことの積み重ねで、きっと人気って出るんだろうなあ。


プレを渡したりスタフラを出すこと。
これに関してはスタフラのみの話になるけど、まず推しに喜んでほしいから。その次は、ハッキリ言うと見栄だ。どの出演者宛の花よりも、大きくて見栄えが良くて綺麗な花を推しに出したい。そしたら、それを見た関係者が「この人のファンにはこんな花を出す人がいるのか。次にこの人をオファーしたら、集客や利益があるかな?」と思うかもしれない。一縷の希望レベルの話だけど、わたしは毎度そう思って花を出している。これは、推しには知られなくていい話。最後まで内緒にする話。


動画を宣伝したり、感想を送ること。
これは在宅でも出来る一番簡単な応援の仕方じゃない?時間がないとかお金がないとか、そういうのも関係ないじゃん?これらが出来なければ、きっと何も始まらない。きっと一番大切なことだとわたしは思う。


歴は、それらを積み重ねていくうちに気づけば経っているものなんだと思う。推しのいろんな姿や、夢が叶っていく瞬間、応援するにあたって出来ていく悩み。そういうものを蓄積した結晶のようなものなのだろう。こればかりはきっと何をもっても埋められない。ただ好きでいること。簡単なようで一番難しいことだから、誇りになり得るんだとわたしは思う。


こう考えると、愛ってたくさんの種類がある。ヲタクが一人いれば、そのヲタクなりの愛がある。一方的だとしても、勝手だとしても、誰も誰かのやり方を否定することは出来ないし同調する必要もない。好きにやればいいよ。あなたにしか出来ないやり方が、きっとあるはず。勿論わたしにもね。

ちなみにわたしにとっての愛とは、推しの未来に繋がることの全て。お金を使うことであり、同じ時間を過ごすことであり、労力をかけることだった。もしこれから先、考えが変わったら、その時はまたわたしなりにやってみようと思う。


最後に、質問です。

これはいつか聞きたいことだけど、推しへ。
わたしは今、あなたに何ができていますか?

これを読んでくれた皆さんへ。
あなたは愛のために、何ができていますか?

あなたのガッツはどこから?

こんばんわ。

今回はスタンスをテーマにブログを書こうと思う。そしてまず言っとく。

推すスタンスは、各々勝手にしてクレメンス!まじでわたしには関係ないから!

ではスタート。


3月25日。推しのリリイベの後に友だち達と、その中のひとりのパパとの5人で塚田に行った。乃木坂ヲタのパパは、わたしのメンがヘラりながらも割り切った性格に何故か食いつき、幾つか質問をしてきた。その中でわたしが一番刺さったのが、

「あやかは、いつまでこの調子で応援できる?」

というものだった。正直な話、答えに困った。あの時パパの言った「この調子」というのは、推しに対するお金のかけ方であり、時間の使い方であり、体力であり、精神力であり、熱量だった。


例え話をしよう。鍋に水が入っていて、温めているとする。沸騰しすぎると、お湯は溢れて零れる。火が消えてしまうと、お湯は水となり冷めてしまう。ずっと煮続けると、お湯はいつしか空気になってしまう。鍋を分けると、お湯の分量は偏ってしまう。

この中での鍋はキャパシティだ。お湯は推しへの想いで、火力は熱量だ。想いは熱すぎると、沸き立ちすぎて保ち続けられない。熱量が伴わなくなると、想いはいつしか冷めてしまう。ずっと同じ調子でい続けると、想いは気づけば霧散してしまう。キャパシティが足りなくて想いを分けると、比重はいつしか偏ってしまう。

ガッツだって、リアコだって、他界だって、推し変だって、二推しだって、何かしらの理由があるはずなのだ。いつの間にか推しにそれ以上の感情を持っていることも、もう限界が近いことも、もう想いが他に向かっていることも、みんな気づかないようにしているだけで。


話を戻そう。
わたしは少し考えてから、パパに向かって答えた。

「あときっと、もって2年、ですね」

悲しいけど、笑うしかなかった。


2年。既に経った時間と合わせたら、3年。長いようで、短い時間だ。きっとわたしのような1人のリスナーのことなんか、忘れてしまう長さだ。そして、わたしの周りのガッツたちの熱量が消えていった長さだ。


これはわたしの勝手な自論だけれど、ガッツの賞味期限って、きっとだいたい3年なのだ。わたしは今ガムシャラに、前も後ろも右も左もわからない振りをしてひたすらに走り続けているけど、いつかその日は来るのだ。今は信じたくないし、悲しいけれど。

傍から見たら頭がおかしいくらいのガッツだって、やっぱり人間だから。ある日突然、燃え尽きてしまったりもするのだ。わたしの周りがそうだったように。


それでも今のわたしは推しが好きだから。わたしはその日まで後悔しないようにガッツでいたいと思う。誰になんと言われようが、図太く現場にい続けると思う。そしてその日が来たら、推しにもヲタクにも何も言わず、本当の意味で消えたいと思う。ずっと好きなんて、心の中だけじゃ意味はないから。わたしの替えなんて、幾らでもいるから。


いつかわたしが消えた後、心から何の邪な感情も無く「ただ好きだったんだよ」と、そう言えますように。